はじめまして。みなもんです。

私は、美術館に行ったり、アートを観ることが大好きで、

 

毎月 美術館に出掛けたり、展覧会を見に行っています。

 

コロナウィルスの影響で、美術館 博物館など

 

軒並み 休館。楽しみにしていた 名古屋市美術館で開催予定だった

 

ミュシャ展も中止になってしまいました。

 

そんな中、世界各国の有名な美術館の所蔵作品が、ネットで楽しめるようになって、

 

家にいながら 名画鑑賞。贅沢な気持ちになりました。

 

でも、やはり 実際 自分の目で観たいと実感しました。

 

作品が放つエネルギーや空気感など 視覚以外の感覚も使って

 

観ているんだなーと実感しました。

 

私は、作品だけでなく 画家本人の 人となりや えっ!と思わず

 

ツッコミをいれたくなるエピソードを収集するのも大好きです。

 

そんな 私が集めた数少ないエピソードもお伝えしていきたいと

思っています。

 

今年、2月まで 名古屋市美術館で 開催されていた「岸田劉生展」

見に行ったのですが、すごく良かったです。

 

岸田劉生についての作品って、あの 「麗子微笑」おかっぱの

 

女の子がほほ笑んでいるあの 少女像。私が小学生の時に、

 

教科書に載っていて、落書きされていた女の子ですね。

 

岸田劉生の子供時代で、とても 印象的なエピソードが

あって、子供時代から 絵を描いたりするのが上手で才能あった

 

劉生は、しん粉細工(お米の粉を練ってふかしたもの)で、血まみれの人間の小指そっ

りに作り、自分の家の近くの通りに置いて、あまりに迫真の出来に 大騒ぎになる様子

を見て楽しんでいたそう。(劉生の生家は、東京の銀座にあった)

 

その他にも、女性の生首を同じように作って、空のご飯のお櫃に

 

入れて、お手伝いさんを驚かしたなど。人を驚かしたり、いたずらをするのが

 

好きなだった。性格は、かなり短気で、結婚して、麗子さんが生まれてすぐの頃、

 

赤ちゃんの泣き声が気になり、絵を集中して描くことが出来なくなり、癇癪を起して、

 

産後で弱って寝ている奥さんの枕元に、ありったけの皿を積んで

 

拳骨で叩き割った。麗子さんも著書のなかで、そういう時の父は阿修羅のようだったと

 

書いていました。かなり癇癪もちでしたが、奥さんや娘に対しての

 

愛情は深かったようです。

 

岸田劉生は、パリに留学することなく 日本で、ゴッホセザンヌデューラーなど

複製画をみて、影響をうけつつ作品を描き、自分独自の作品表現を創り上げていった。

 

マイブーマー。作品もサインも時代を経ていくごとに、変化していく。

 

とても 人間らしい人だなぁと思い、大好きになりました。

 

大原美術館岸田劉生の「童女舞姿」(多分この絵だったと思う?)を小学生ときに

 

観て、すごく不気味で怖かった記憶があります。

 

40年後にまたその絵と再会するなんて!

 

大人になり、おばちゃんになった私には、劉生の新しい独自の表現への挑戦と

 

麗子さんに対する深い愛情を感じる作品でした。